セッションのこと

セッションについて、アイルランド音楽が好きないち地方人として思うところを書いてみたい。とはいえ、現地でフィールドワークをしたわけでもなければ、たくさんの文献を漁って研究したわけでもない。肝心のセッションにも、頻繁に足を運ぶわけじゃない。なんとなく年季だけは長くなってきたので、その中で思うことなどをまとめてみたいというだけだ。(もっともらしい言い方をしているしかもしれませんが、最初の弁明を念頭においてください)

セッションは観客向けのパフォーマンスではない。プレイヤーによる、プレイヤーのための音楽の場である。Companion to Irish Traditional Musicの”session”の項によると、もともとひとつの楽器で演奏されていたダンスチューンが、20世紀初頭に(ピアノやバンジョーなどの)伴奏を伴うようになったとのこと。そして、1920年代にはケーリーバンドが興隆し、複数の旋律楽器がユニゾンで演奏するスタイルが確立した。そして、徐々にパブでのセッションが行われるようになっていく。「セッション」という呼び名はジャズのジャムセッションから借用したものと言われている。

確かにプレイヤーが音を通じて触れ合うという点では、ジャムセッションと共通する部分があるかもしれない。しかし、個々のプレイヤーのひらめきや創造性よりも、キャラクターやストーリーが脚光を浴びるのがアイリッシュのセッションだと思う。まずはその実現のための条件について少し考えてみたい。

・個と個のコミュニケーション

なんとか「調和のとれたセッション」を目指そうというのは、セッションに参加するプレイヤーが皆心に思っていることだと思う。では、果たしてハプニングのない、息のぴったりあったセッションが良いセッションなのだろうか?むしろ、プレイヤーが先手を打って、不確定要素を取り除こうとするほど、肝心な部分がおろそかになる。

肝心な部分とは、メンバーの「おおらかさ」だ。この「おおらかさ」とは、何にでも目を瞑ることではなく、ひとりひとりにきちんと向き合うこと。ひとつの指標となるのが、コミュニケーションの双方向性だ。セッションの場では、どんなハイレベルなプレイヤーであっても、一人前の仲間として受け入れてくれ、演奏に耳を傾けてくれるというのが、初心者の頃は本当に驚きだった。

プレイヤーがおおらかであれば、それだけ多くの人から学ぶことができる。このことが、私のような日本人の、さらに独学のプレイヤーにとって特に重要なのは、進んで取り入れる情報の幅や、好きな曲の傾向などが、どうしても狭い範囲にまとまってしまいがちだからだ。たくさんのプレイヤーと接触することで、自分の中の「アイルランド音楽」は確実にいろどり豊かになっていく。

個人的に、日本では(特に地方では)、セッションのスタイル・気風はもっと明示的であるべきだと思うし、どんな音楽を一緒にやりたいのかを、積極的に話題にしていかなくてはいけないと思う。本場や大都市であれば、別に難しいことを言わずとも調和のとれたセッションができるのかもしれない。しかし、そこには、セッション自体が高い頻度で行われていること、肌に合わなければ他のセッションを探すという選択肢があることなどの条件が隠れている。

大抵、「おおらかさ」が損なわれる場面には、自分が了解していることを相手が尊重しないことなどへの不満がある。しかし、ほとんどの場が、「常識」が成立するほど成熟していない以上、伝えるべきことは伝える意識を持つべきではないだろうか。

・「余白」の尊重

さて、先ほど述べた「おおらかさ」が生み出す、心地の良い雰囲気のことを、アイルランドの表現で”craic(クラック)”と呼ぶ。一見昔からあるアイルランド語のような顔をしているが、元をたどれば英語の”crack”からアイルランド語に借用された言葉で、英語に逆輸入されて使われているものだそうだ。現在ではあまり一般的ではない用法だが、英語の”crack”には「雑談」という意味がある。

大雑把な表現をすれば、”craic”は、お喋りの絶えない明るい雰囲気というような感じだろうか。キアラン・カーソンのLast Night’s Funの最初のほうでは、朝食の話題で盛り上がるミュージシャン達のことが書かれている。雑談はいわば本題から逸れた「余白」だが、これもセッションの一部なのかもしれない。

セッションは旅に似ている。旅の経験で強く印象に残るのは何かというと、行きあった人との些細な会話であったり、ちょっとしたトラブルや道すがら偶然目にした光景であったりする。壮大な景観や珍しい食べ物が旅の第一目的だとしても、旅人が一直線にそこに向かっていくほど、経験の質はかえって味気ないものになっていく。音楽との付き合いをより良いものにするためには、こうした「余白」を楽しむ余地を残しておくことが大切だ。

ここまでは、どちらかというと抽象的な理想の話をしてきた。続いて、具体的に心がけたいと思っていること、初心者に勧めたいと思っていることを挙げていきたい。

・「セッションの音」を知っておく

良いプレイヤーになるにはたくさんセッションに顔を出すことが大切だと言われている。一方であまり語られないのは、実際のセッションや、それに近い形で録音された音楽を聴くことの大切さだ。それほど頻繁にセッションに通うことができない私のような地方人にとって、市販されているCDはとても助けになる。Music At Matt MolloysというCDはよく勧められる。また、スライゴーにあるColeman Heritage Centreはいくつかこのような音源を扱っており、スライゴーやコノート北部のスタイル・レパートリーを指向するのであれば、これらも大変参考になる。演奏スタイルの異なる他の地域にも、似たようなものがあるのではないかと思う。

セッションでバンドの音楽を再現するのは難しいが、かといってバンド未満の音楽で妥協される場でもなければ、初心者のための練習の場でもない。セッションにはセッションの音がある。そこには、話し声などのノイズも含まれるかもしれない。より純粋にセッションの音を味わえる感性を身につければ、より自信を持って演奏を楽しむことができるようになるのではないかと思う。

・経験を反芻する

セッションの大きな楽しみは、セッションが終わった後、その思い出を反芻することにある。セッションの機会に恵まれない地方人にとって、こうした思い出は宝物だ。録音はマナー的に良いものかどうかわからないが、周囲の了解が得られれば、良いツールになりうると思う。必ずしも録音に頼ることはないけれども、より多くを学ぼうと心がけることが出会った人たちへのリスペクトになるのではないかと考えている。

冒頭で触れた、アイルランド音楽はもともとソロで演奏されたという話とも関係するが、演奏のキャラクターを作り上げていく過程で、自分の音楽を自分で楽しむという習慣を持つことはとても大事だと最近感じるようになってきた。セッションの音は、この「自分のための音楽」の延長線上にあるのではないかと考えている。ひとりひとりに向き合うには、まず自分が何に魅力を感じ、何を表現したいのかを知るべきだ。そのための時間をしっかり作ることが、コミュニケーションの第一歩になる。

いつかは地元でセッションをやりたいと思いながら、本当に楽しいものにするためにはどうすればいいのか考えると止まらなくなる。

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