ハロウィンが近づいてきた。ハロウィンはアイルランドのサウィンがルーツといわれていることから、アイルランド文化がらみのイベントも時々目にする(私も一度試みましたが)。ハロウィンの仮装が年々派手になる一方で、由来について語られる場面も増え、「西洋のお盆」というような例えをよく目にするようになった。ルーツが死者の祭りであるという認識も随分広がっているように感じられる。
この時期に死者にまつわる行事が行われるのはケルト圏に限った話ではなく、他のカトリック圏においても、11月1日の「諸聖人の日」や11月2日の「死者の日」に先祖にまつわる行事を行う風習が分布している。というわけで、移民の国であるアメリカで成立した今日的なハロウィンには、サウィン以外にも様々な隠れたルーツがあるんじゃないかと、個人的に思っている。
また時々、「西洋のお盆」の他に、「ケルトの大晦日」みたいな言い方もされることがある。サウィンは、5月のベルテネ(5月1日)などと並んで、一年の大きな節目と考えられているためだ。この区切りは、牧畜を主な生業としてきたケルト圏の人々にとっては合理的なんだとか。
ブルターニュで死者や霊魂にまつわる伝承を集めたアナトール・ル=ブラースによれば、クリスマスイブ(冬至の頃)、聖ヨハネ祭の夜(夏至の頃)、万聖節(諸聖人の日)の夜(ハロウィン)には、死者たちが集まって祭りを行うという。アイルランドではベルテネにも野山を霊魂がさまようと伝えられている、とのこと。
日本でも、お盆が先祖に捧げる祭りであるのはもちろんのこと、全国に点在する異形の神が家々を訪れる行事(ナマハゲなど)が年末年始・小正月・節分・七夕・盆の周辺、つまりサウィンとベルテネのように対蹠的な節目の時期に集中している。このような時期に、生者の世界と精霊や死者の世界が交錯するという感覚が東西共通のものとしてあるのかもしれない。
おそらく、牧畜や農耕を主軸とする一年の暦を人の一生になぞらえ、人格を与えるというものの見方が、古くから普遍的に存在していた。家畜が殺されたり、作物が収穫される大きな節目は、ある一年が死んでゆく日でもあることから、人間社会においても死者やこれから生まれてくる命と行きあう節目としても祝われたのではないだろうか。
アイルランド東部にある新石器時代の墳墓ニューグレンジの羨道に冬至の明け方だけ陽の光が差し込むのは有名だ。秋田県の大湯環状列石は夏至の日没を意識していると言われている。当初は死者を弔うために築かれたこれらの遺構が、太陽の運行を意識して設計された理由は、先史時代から死者にまつわる祭祀が一年の決まった時期に行われていた名残ではないかと想像する。
まあ、つたない憶測の話はこれくらいにして。
ハロウィンと言えば、アイルランド音楽に親しんでいる方々の中には、下の絵を見たことがある人が少なくないのではないだうか。アイルランド南部のコークに生まれた画家、ダニエル・マクリース(1806-1870)の”Snap-Apple Night”、この作品は、1832年にブラーニーで行われたハロウィンパーティーの様子を描いている。
タイトルの”Snap-Apple”は画面の右下でやっている、水を貯めた桶から口だけでりんごを捕まえる遊びのこと。よく見ると、右端の方ではパイプス、フィドル、フルートが音楽を奏でている。
私はよくMCなどで、アイリッシュフルートの普及はベーム式フルートの登場によって、クラシックの世界でシンプル・システムのフルートが廃れたためと語っているが、この絵に描かれた1832年はテオバルト・ベームがフルートの改良に手を付けたばかりの頃なので、それよりも古くから、アイルランド音楽でフルートが使われていた証拠になるだろう。