今思い浮かぶのはむしろ平穏な光景だ。電気の落ちた寝室で瓶の底から酒を飲んでた。手元がはっきり見えるくらいの星あかりがあって、冬の林檎畑を照らしてた。もしかすると直接は林檎畑を見ていなくて、窓の外に広がる情景を想像していただけかもしれないけど。自分自身がその底に張り付いている遠野盆地の広さを心に思い描くと、いつでも満ち足りた気分になった。あんなに訳のわからない一日の後でさえも。ふとこんど実家に帰ったら昔読んだ『ペスト』の文庫本を見つけ出して、時間をかけて読もうと思った。過剰なくらい思いがけないことが続いたのだけど、この小説が10年後にもてはやされるのも、その理由となる出来事も、まだ予想できなかったな。
仕事の関係で2012年から1年だけ首都圏で暮らした。そこではいろんな人が震災のことを気にかけていた。いわゆる被災地は、人はどう喪失に向き合うのか、人はどう支え合うのか、人はどう文明的生活のツケを払うのかという大きな物語を描くための、格好の導入となっていた。ところが、自分はそんなにシリアスな人間じゃなかった。岩手のこと、東北のことと聞いて、第一に思い起こすのは個人的なことばかりだったし、理知的に語ることで、自分の想像を及ばぬ経験をしてきた人たちの目を見るときの、冷えびえする感覚を無造作に忘れてしまいたくなかった。1年のあいだ、何度も岩手に戻りたくなったけれども、それは、現地にいれば事情が飲み込めるとか、何かを変えられるとかいった期待があってのことではなくて、ただとぼけた隣人であり続けたいと思っただけのことだ。さいわい、縁があって翌年から大船渡市民になった。
あれから経過した10年のことやこれからのことを、いわゆる被災地から離れて過ごしている人よりもよくわかっているのかどうかは怪しいけれども、8年を過ごしてきたことで、街でも、海でも、人でも、この土地の見えかた、感じかたはすっかり変わった。不届きにも、ひとが失われた時間に想いを馳せている一日に、自分がここで手にした最良の時間のことばかり考えている。ここでなければ、突然やってきた孤立の時代はもっと耐え難いものになったはずだ。今では、この土地の美しさがなににも増して伝えたい現実になった。
この節目のときに、さまざまな形で被災地をサポートしてくれた方々、想いを寄せてくれた方々に、あらためて心から敬意を払い、感謝申し上げます。