6月11日の寒い朝、Facebookのタイムラインを眺めていると衝撃的な報せが飛び込んできた。ケヴィン・ヘンリーの逝去を悼む、彼と縁の深いあるフルート奏者の投稿だった。
1929年、ケヴィン・ヘンリー Kevin Henryはスライゴ県とメイヨー県の境にあるドゥカスルという村に生まれた。仕事を求めて1947年にイングランドに渡り、その後カナダとニューヨークを経て、シカゴに身を落ち着けることになった。シカゴは伝統曲のコレクションで知られるフランシス・オニールゆかりの地であり、そこにはアイルランド系の住民も多く住んでいたが、当時まだ伝統音楽はそれほど熱心に取り組まれていなかった。そこで1956年に創設された伝統音楽のためのアソシエーションで、当初からのメンバーとして熱心に活動したのがケヴィン・ヘンリーだった。
彼の演奏スタイルはアタックの強い奏法で一音一音を際立たせることにより、全体に躍動感を与えるものだ。その演奏はトム・モリソン Tom Morrisonやジョン・マッケナ John McKennaなど、より古い時代のフルート奏者を彷彿とさせる。今日主流となっている流麗なダンスチューンの演奏に慣れている聴き手は多少面くらうが、なおそのエッセンスを受け継ぐ奏者は少なくない。ケヴィン・ヘンリーは、そういうスタイルを志向する者にとって模範となるべき奏者のひとりだ。私自身もちょうど、「影響を受けたアルバム」のひとつとして、Facebookで彼のCDを話題にした矢先だった。
悲報に接したあと、きっかけは定かでないが、「もしかすると、ケヴィン・ヘンリーってフランク・マコートと同じくらいの世代じゃないか」とふと思いたち、調べ始めた。フランク・マコート Frank McCourtとは、ピューリッツァー賞を受賞し、映画化もされたベストセラー『アンジェラの灰』の作者である。彼は1930年にブルックリンで生まれ、ごく幼い頃に両親の故国であるアイルランドに移住した。父親の仕事が見つからず国内を点々としたあと、母親の実家がある南西部の都市リムリックに至り、そこで苦難に満ちた少年時代を過ごした。そして、19歳のとき新天地を求めて生まれ故郷であるアメリカに渡った。つまりこのふたりはアイルランドとアメリカで、概ね同じ時代を過ごしたということになる。
実をいうと、私のアイルランドとの出会い(いくつかあるがいちばん重要なもののひとつ)は『アンジェラの灰 Angela’s Ashes』だった。(たしか映画が先で、ほどなくして本を読んだ)その出会いの数年後、初めて訪れたアイルランドでTeacher Manと題された彼の著作を手にした。たしか場所はダブリンのバスセンター、ホーリーヘッドからの夜行フェリーで到着した朝のことだ。それからひと月あまり、旅の友として時間を共にすることになったこの本もまた強く思い出に残っている。
このTeacher Manという作品は、『アンジェラの灰』とその続編である『アンジェラの祈り ‘Tis』とは違ってなかなか翻訳が出ず、日本ではもう彼のことが忘れられてしまったのかと残念に思っていた。フランク・マコートは2009年に逝去したが、その時も国内であまり大きく取り上げられることはなかったように思う。6月11日の朝にふたつめの驚きをもたらしたのは、昨年ついに邦訳が出版されたという情報だった。邦題は『教師人生』といい、ジョン・マクガハンの小説なども手掛けている方が翻訳にあたられている。ケヴィン・ヘンリー の訃報から彼を連想することがなかったら、今も知らないままだっただろう。
ところで、頑健でいかにも実直に見えるケヴィン・ヘンリーの姿と、柔和な雰囲気をまといつつ、芸術家らしいうちに秘めた衝動を感じさせるフランク・マコートの佇まいから、このふたりはかなり異なるタイプの人物のように見受けられる。愛国者であり、アイルランド文化の体現者・伝道者であり続けたヘンリーからは、故郷アイルランドとその思い出、伝統文化を一途に愛しているような印象を受ける。だが愛国者だった父に翻弄され、貧しい少年時代を送ったマコートの場合はやや複雑だ。
マコートはアメリカで教師として経験を積んだあと、博士号を取得するために一時アイルランドに帰り、2年ばかりダブリンに住んだ。そこで彼は、少年時代には遠い憧れだったアカデミックな日々を過ごすのだが、『教師人生』には、彼がその時次第にある種の心細さを感じるようになったことが綴られている。また、彼のベストセラーである『アンジェラの灰』は、リムリックを陰惨に描きすぎたという点から批判を浴びたことがあったという。しかし、私は、マコートの作品、とくにその軽妙な語り口を通じて、彼が自身の中にあるアイルランド的なものに対して深い愛を持っていたことを感じとる。その愛が、さまざまなルーツを持つ彼の教え子たちに、「書く」という行為を通じて、各々が受け継いできたものと対峙し、楽しみ、表現することを説く原動力となったのだ。
一方でケヴィン・ヘンリーは、折に触れて彼の音楽を「哀しい」と表現している。彼の音楽が帯びている「哀しさ」は、アイルランド人が辿った歴史に負うものだという。溌剌とした笛の音色の隅々まで、世代を超えて紡がれてきた物語が浸潤している。彼もまたすぐれた語りべだった。彼はしばしば聴衆を前に朗々とした語り recitationを披露したという。ヘンリーにとって、音楽と物語は、共に歴史というひとつの源から湧き出るものだったのだろう。
個人的には、独立後の内戦を経て間もない頃のまだ貧しいアイルランドで少年期を過ごし、新天地で自らのルーツと向き合ったふたりの語りべの生には、やはりなにか共通するものがあるように思えてならない。この朝、ケヴィン・ヘンリーのことからふとフランク・マコートを連想したのはきっとその共通点のせいだろう。彼らの語りと音楽には悲痛な経験が織り込まれている。なのに、向き合う者たちはそこから絶え間なく湧き出すあたたかく豊かな力を感じ取る。その力の余韻が、このとき懐かしく鮮やかに蘇ったのだ。