初の大船渡セッション

初の大船渡でのセッションが終わった。プレイヤーの皆様が遠いところから集まってきてくれたことについてはほんとうに感激しているし、その演奏と振る舞いについても「お見それしました」と申し上げたい。

だけども、これからこのブログは、時間を割いて付き合っていただける方だけに、考えていることを色々と打ち明ける場にしていきたいと考えている。(情報発信のツールとしては以前のように期待してないが、今後もそういう投稿はするつもりでいる)

この投稿では、今いちばん言わないといけないこととは違うかも知れないけど、今回セッションを開催するにあたって不安を感じていた要素について、少し書いてみたいと思う。

地理的条件

第一の懸念は、アイリッシュのコミュニティがあるどの都市からも遠い三陸で、ちゃんとしたセッションが成り立つのかという点である。

コアなリスナーであれば、旋律のみのソロやデュオでも存分に楽しめる。だが、日頃アイリッシュを聴かない方にも馴染みやすく、魅力が伝わるのは、複数の旋律楽器とコード伴奏の入った構成ではないだろうか。まず岩手大学i-celtのメンバーである青木君、澤田君に協力してもらうことで、最低限でもトリオの演奏を聴かせようと画策した。

蓋を開けてみれば、仙台、宮古からの参加者が集まり、10人を超える規模となった。初回ということもあり、多くの方に気にかけていただいた結果である。諸事情により来られなかったが、参加を検討していることを知らせてくれた方も何人かいらした。できれば、かれらのために、またセッションを開催できればと考えている。

来店した方々に楽しんでいただけたのも間違いなさそうだ。丁度近くの会場で日中に音楽イベントが開催されており、そこに参加していたミュージシャンが多く来店していた。音楽に理解のある方々が多く、楽しく歓迎的な雰囲気を作り出してくれたことも功を奏したことと思う。また、そのことで思いがけない共演の場面も生まれた。

得体の知れない催し

第二の懸念は、当地で「アイリッシュのセッション」という様式が受け入れられるかということ。会場はライブでお世話になっているお店にお願いしたものの、プレイヤーが入り乱れてセッションするアイリッシュのやり方は結構独特で得体の知れないものらしく、当日も来場された知人から早速「オープンマイク形式なのか」「何バンド出るのか」ということを尋ねられた。

準備段階では、アイリッシュのセッションがどのように回るのかということを言葉で説明する難しさに直面したが、結局自分では答えが出せなかった。心の中では「まあ見ていてくださいよ」と呟きながらも、やはりこのスタイルに不慣れな人の目には、自分たちの楽しみのために演奏するアイリッシュのプレイヤー達は、不愛想で無秩序な群れに映ってしまうのではないかという不安があった。

実際、過去にはコントロールを失ってしまうセッションにも居合わせたこともある。MCを入れたり、セットリストを作ったり、事前にメンバーを固定したりと、いくらかでもライブ形式に寄せて「まともな演奏」を保証する手もあったかも知れない。でも、なるべくそれはしたくなかった。

なぜかというと、以前、盛岡で偶然i-celtメンバーのセッションに居合わせた地元のある知人から、「次々と曲が出て、みんながそれに合わせて、なんだか凄かったよ」というような話を聞いていたからである。渡り鳥の編隊のように、自律的に一体感が生まれていく雰囲気自体が、アイリッシュを普段聴かない人にも、大きな魅力に映るということは、思いがけない発見だったのだ。

それで、参加されたプレイヤーの中には不調法に感じた方もいるかも知れないが、露骨に怠惰なホストでいることにした。それでもなんとかなってしまったのは、いずれも東北を中心に活動している、互いに気心の知れた、節度と技術を備えたプレイヤーが揃ったおかげではないかと思う。

スタイルをつくる

第三の懸念は、セッションのスタイルに関すること。ここ数年、他のプレイヤーとの交流の時間が減り、自分の演奏に向き合う時間が増えた。それに伴って、演奏のスタイルに関しては、良く言えば的が絞れてきたが、悪く言えば視野が狭くなった。

セッションでは「自分のしたかった演奏が他のプレイヤーの演奏に呑まれる不安」「他のプレイヤーがやりたい演奏が十分に理解できず半端な演奏をしてしまう不安」のふたつがつきまとう。いくら気心の知れた仲間であっても。

しかし、当日そんな不安に直面する場面は来なかった。まがりなりにも「こういう感じでいくよ」というのを序盤で提示できたことと、こちらの目論見を軽々見通してしまうほど他の参加者がウワテだったことによるものだろう。そのことによって「大船渡セッションのカタチ」が生まれていく期待が持てた。

東北勢に最近現れた変化としていちばん嬉しく思っているのは、スタイルが多様化し、それぞれに意思のある演奏をしていることだ。また、意思のある演奏をすることは、他者の意思を汲み取る力にも繋がるはず。以前から抱いていたそんな思いが証明されたようなセッションだった。

残された課題

しつこく言うように、とてもいいセッションだったが、まだ大きな課題が残されている。それは、地元からの参加者がひとりしかいないことだ。定期的に練習会を開きプレイヤーが増えていく中で、いずれは大船渡でセッションをやってみたいと言うのが当初の計画だった。今回唐突にセッションをやることにしたのは、その計画が頓挫したからである。

まだうまく言葉にすることができないけれども、小さな町で、日常の中で、ひとりひとりの手から文化が紡がれるということは、世の中の均衡を保つためにとても重要なことではないかと思っている。アイルランド音楽が培ってきたカタチは、じわじわと伝統文化から切り離されつつあるわれわれに、そのヒントを与えてくれる。だから、この音楽を小さな町でやることには大きな意義があるんだ。

今回のセッションには、その場に居合わせた人々にアイルランド音楽のポジティブな力を見せつけるだけのインパクトがあった。しかも、それだけ心強い仲間が東北にいると言うことを再発見できたのは大きな収穫だった。まったく自分本位な感想だけどね。次回は飲食店でのセッションとは違う層、夜の街をほっつき歩かない人たちにももっとアプローチできる方法を探ってみたいと考えている。

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